MMエンツォ
2000年代初頭、自動車愛好家のリチャード・ローゼは2003年のフェラーリエンツォを購入しました。そのフェラーリを投資として扱うつもりではありませんでしたが、その価値が高く評価されている間、空調の管理されたガレージに保管されていた様です。実際、彼はエンツォをロード&トラックに貸し出し、最初の2500km(1500マイル)ほどロードテストを行いました。
このようにして、MM Enzoの物語が始まります。MMエンツォ、そうです、MMはMost Milesを意味しています。つまりMMエンツォは『MostMilesEnzo』の略称ということになります。ここからは敬意を表して走行距離をマイル優先で記載したいと思います。
こうして始まった長い道のりへの挑戦
所有した初期のある時期に、ローゼはエンツォの走行距離をできるだけ伸ばそうと決心しました。彼はロード&トラック誌と協力して、長期のテストカーにしました。テスト中にさらに10,000マイルを追加し、すぐにEnzoの走行距離を30,000マイル以上に増やしました。
悲劇は突然に
2006年にLoseeがユタハイウェイパトロールのファストパスチャリティーイベントに参加したとき、その物語は悲劇に襲われます。14マイルの閉鎖された道路での最高速アタック中に、ローゼは時速206マイルでエンツォと共にを空を舞うこととなります。車は完全に破壊され、ローゼは重大な怪我から回復するために1年以上を費やしました。
悲劇からの復活
しかし、ローゼはこれで諦めたわけではありませんでした。信じられないことに、ローゼは、以前よりもエンツォをより良く再生したいという願望を持って修復が始められるとことになります。プロジェクトは本格的に始まり、フェラーリ北米を含む多くの人々の貢献のおかげで、MMエンツォは30ヶ月の月日をかけて完全に復元されました。しかも新しいツインターボチャージャーを装着し、800馬力以上を発生するモンスターマシンとなりました。
車両の修理が完了した後、新しく生まれ変わったフェラーリエンツォでローゼはボンネビルソルトフラッツで記録に挑戦することとなります。Loseeは時速237.1マイルを記録することに。
その後は、しばらくMMエンツォは平穏な日々を送ることとなります。その頃にローゼは、世界初で唯一の取り外し可能なルーフのEnzoを作るために動きます。
現在のMMエンツォ
最近、MMエンツォはInstagramで最高の日々を送っています。アカウント主の@dryl8kは車を所有しているわけではありません。いくつかの取り決めをして、ローゼは@ dryl8kに車を貸し出しました。@dryl8kは、最近このエンツォで90,000マイルを達成しました。493台しか作成されていないことを考えると、この偉業は驚くべきものです。
MMエンツォが100,000マイルに到達する瞬間をギャラリー達は心待ちにしています。