憧れはとは自分が近づくための存在

憧れ、夢、目標。言い方は違えど、同じような表現で纏められる言葉たち。

夢は叶えるものであって、ただ見ているだけでは意味がなく、目標は到達しないと意を成さない。憧れも指を咥えて眺めているだけでは近づくことはできない。

言葉にしてしまえば、簡単な響きだが、なかなか思ったように生きることができる人はそれほどいないのではないか。皆どこかで折り合いをつける、そんな人が多数を占めていることだろう。

 

しかし、そういって自分の想いに蓋をするのはいかがなものかと僕は思う。常にあがき続けなければ成しえないことは沢山ある。僕の座右の銘に、『金で買える夢は叶えろ』という言葉がある。これは、読んで字のごとくなのだが、なかなかこれを実行する人は少ない。正確には、夢が買えるくらいのお金が今自分の手元にあるのなら、それを使って前に進めということで、その物を手に入れて憧れに近づけるのならば今持っているお金を使う事を躊躇するなという事。手に入れるだけのお金があるのに前に進まない人は結構な割合で居る。老後の生活がどうのといった言い訳をする人がいるが、今ここでその夢を叶えずに老後を迎えた場合、それは幸せなのかとその人に問いかけたい。

それぞれの人生なので、否定されればそれまでなのはわかっているつもりだ。

これを読んで「夢を買いたいけど金がない奴はどうするんだ。」と思った人もいるだろう。それに対する僕の答えは、「働け」である。しかし、ただ働いても、僕ら庶民がすぐにまとまったお金を手に入れることはできない。だから、もうひとつ、「夢以外を諦めろ」。そうやって時間軸を長くとっていけば極端な夢や憧れは近づけるのではないかと考える。夢以外を我慢できないのであれば、それは夢ではないし、近づける憧れではなかった事に気が付くのではないだろうか。

お金を稼ぐことができる人は、お金で時間を買い、さらにそれをお金に換えることができる。それは、僕らの様な庶民ではなく、数少ない成功者なのだと僕は思う。

最近、なんとなくウラカンくらいならちょっとローンを組めば買えるのではないかと思えるようになった僕だが、最初は、何でもよいからV12エンジンを積んだ中古車かGT-Rの新車が欲しいな程度から始まった。最初はGT-Rの新車なんてちょっと無理なんじゃないかと思っていたが、その金額は意外とクリアできるものだと思った。そこから、スーパーカーが欲しいと思い始め、今に至るのだが、人は目標を達成できるお金を手に入れた時、それより上の事に憧れの対象が移っていくと感じた。

 

僕は今、こうしてスーパーカーという憧れに近づくために頑張っているのだが、最近、とあるスーパーカー乗りの方のブログでこんなニュアンスの言葉を目にした。

ランボルギーニは買えるお金があるだけの人が乗っても意味がない。成功者が乗る乗り物だ。

僕はこれを目にしたときに、自分は何も成功していないと思ってしまった。

お金は何とかなるかもしれないが、その裏にあるリスクを取った努力はしていないのではないかと。無理にリスクをとる必要はないが、何かしら成功したいと思うようになった。できればランボルギーニを経費で乗れるようになりたいとも正直思う。

近づいたと思った憧れが、またちょっと遠くに行ってしまった感じがした。

それでも僕は憧れに近づくことを諦めないのだ。